帰省していました。実家でTVを見ていると、やっぱりストレス溜まります。いつもは日本のニュースはネット上でしか読まないのですが、例えば上の記事も、普段なら何気なく読み流していたかもしれません。しかし、たまたまTVをつけたら北島選手の(金メダル獲得の)記者会見をやっていて、その中で彼が「引退については何も決めていないし言っていない。こういう報道をされると選手は動揺するのでやめてほしい」と言うと、報道陣からは一斉に笑いが起こりました・・・笑うところか?北島選手の顔は全く笑っていなかったですよ。真剣に訴えてました。さらに「大会中なのですから、そういう報道は本当に困ります。お願いしますよ。」と、ちょっと厳しい表情で念を押していましたが、それでも再び会場では一斉に笑いが起こりました。「冗談」として受け取っているのでしょうか?仕事として、誤報を伝え、迷惑をかけた側が笑う?報道に正しい心を求めるほうが間違っているのでしょうか。でも会見を観て一緒に同じ所で笑った視聴者も多いのかもしれない。「笑うところですよ」のテロップが出まくりなTVによって、条件反射的に笑う日本人の判断力/洞察力は、鈍ってしまっていないか。

北島選手の真剣なメッセージは届いたのか。

関連記事:JAPANESE SMILE
08.21 (Thu) 01:23 [ 雑感 ] CM0. TB0. TOP▲
僕は妙な「カタカナ新語」は使いません。つかわないと決めているわけでは無く、使う理由が無いのです。そのカタカナ新語を曖昧な意味で捉えるほど、使い道は多いでしょう。つまり「解らないほど使いやすい」ということになります。ごまかさないために、極力日本語の単語で書くようにしています。

忙し自慢をしている人が、「寝てしまうとモチベーションが下がる」とブログで書いているのを見かけた。寝ると行動の動機づけ(その確信)が無くなる?そんなのは元々「動機」では無い。「寝ないで一気にやってしまいたい(それほど燃えている)」というのなら解る。しかし、どれだけ忙しくて、どれだけ寝ていなくて、どれだけ他にする事が無いかという事を、自慢げに(言い訳的に)書いていること自体、何だかなぁと思う。本当は,相当参っているに違いない。そんな時は言い訳なんかしなくて良い。寝ないでベストで居られる人間なんて居ない。無理してベストを尽くすのと、ベストな状態を作り出すのとは全く逆。混ぜて考えるな。曖昧にするな。苦し紛れに「人のための良いもの」なんか手掛けるのは、根本的に間違っている。どれだけ頑張って作っているかなんて、恩着せがましいことを言うな。作品のクオリティに言わせれば良し。



(追記です)


モチベーション」という(本来の発音とは掛け離れている)カタカナを平気で使っている人は、本来の「motivete(モウタヴェイト)」という言葉を理解しているとは思えません・・・日常的に(ネイティヴが使うのと同じレベルで)motivateを理解している人なら「motivation」だけでなく「motivate」「motivating」という言葉も使っているはずで、カタカナ新語である「モチベーション」というカタカナ単語しか知らない人が、その意味(用法)さえよく解らずに使っている。

そもそも「モチベーションが下がる」という使い方がおかしいです。
「テンションが下がる」と同じ感覚で使っているのでは?

「やる気が下がる」という意味で使っているのかもしれませんが、motivationは「やる気」ではなく「動機付け(動機を明確にするという行為)」です。「モチベーションが下がる」は「動機付けが下がる」って事ですか?意味が通じません。あえてその妙な言葉の意味を理解しようとするなら「一度動機づけして得た確信が無くなる」という意味にしか置き換えられません。「motivation」に「上がる/下がる」「高い/低い」なんて表現は結びつきません。

「motivation」は「motivate」という動詞の名詞形で、「動機づける」という行動の名詞形なのです。多くの日本人は「やる気」という名詞と混同していますが、それは間違いです。 motivateして得たものは「やる気」かも知れませんが、motivationは「やる気を起こす為の動機付け」です。「やる気」は何となくの気力でもOKで、理論的な説明は必ずしも必要ではありませんが、「やる気を起こさせるための動機付け」(つまりそれがmotivation)は、その言葉の通り、箇条書きで出来るぐらいの理論的な「行動の理由」そのものをハッキリさせ身につけるという行為。なので「モチベーションが下がる」なんて表現はおかしいのです。「やる気が失われる」という意味で使っているとしたら、元々から「motivating」は出来ていないのです。motivatingが出来ていない状態ではmotivation(動機付けとその結果)は得られておらず、得られていないものが「下がる」ということは有り得ません。

意味がよく解らず、「なんとなく」で理論を展開すると、こういう意味不明な言葉の使い方が生じます。最初から日本語で言えばそんな事は起きないのに!しかも、こういう事(まぬけな行為)は誰も問題視しません・・・。

関連記事:「なるべく伝わらない言葉で伝えましょう」と教わりましたか?
07.21 (Mon) 04:33 [ 雑感 ] CM6. TB0. TOP▲

若者の事件が起こる度に、それをビデオゲームやハリウッド映画(←映画全般ではなく、アメリカの映画と限定)のせいだと決めつける馬鹿な大人の発言が目立つ。今日、TVで「E3」(「エレクトロニック・エンターテインメント・エキスポ」の略称で、アメリカで毎年開催されている世界最大のゲーム見本市)が2時間中継されていたので、最新の素晴らしいゲーム画面を観ながら、アメリカ人教育関係者の友達とその事について語り合った。中学生による事件が連鎖的に起これば、今どきの中学生が病んでいるという風に、まとめて括って、まるで病巣のような扱いをする浅はかな考えの大人達が確かに存在する。「狂っている中学生世代、原因はビデオゲームとアメリカ映画」という馬鹿な方程式を平気で立ててしまう。TVの報道番組でも平気でそんな馬鹿な事が囁かれたりする。そういう風潮に対して、以前どこかの中高生によるブログに「そんな一部のおかしな犯罪者と中高生全体を一緒にしないで欲しい」というような文を見かけたことがある。全くその通りだと思う。

僕の小さな頃から、アクション・ヒーローもの(特撮でもアニメでも)悪者を倒す為に、銃やミサイルや必殺光線などを使って、敵を木っ端みじんにするようなシーンはいくらでもあったし、殺し屋が主人公である「ゴルゴ13」や、犯罪者が主人公である「ルパン三世」なども人気があった。爺ちゃんがいつも観ていた時代劇では、チャンバラで1分間で何十人も人を殺していた。TVにそういうものが登場して「人が死ぬのを観ても何とも思わなくなった子供たち」と嘆いた大人が居たかどうかは記憶にないけれども、そういうのを観て育ったからと言って、実際に事件を起こすかどうかなど、直接結びつくものではない。子供の頃にピストルの玩具で撃ち合いをして夢中になって遊んだからと言って、大人になって本物の銃で人を撃ってはいけないと解らない大人になる人ってどれだけ居ますか。

そのゲームや番組が、子供にふさわしくないと判断するなら、親は与えなければ良い。または、間違った受け取り方をしないよう、しっかり理解させるべき。(過去記事:PARENTAL GUIDANCE
このブログでは日頃からコミュニケーションという時間の大切さに触れていますが、そんな最も大事な事を怠っておきながら、原因を物や世代のせいにするのはおかしい。むしろ、そんな馬鹿で短絡的な考え方しか出来ない人達が「親の世代」であることが世の中を悪くしているのでは?

いつもの事ながら、今回も「刺激的な事をビデオゲームやハリウッド映画でヴァーチャルに刷り込まれた子供たち」という表現は、デザイン・ブログ村のエントリーで発見しました。「何をしでかすか分からない世代」とまで言っていた。感受性の強い時期に、大人たちからまるで「犯罪予備軍」みたいに扱われたら、それこそ子供の心は荒んでしまいます。物事をきちんと整理して考えられない人間に、人々のためのデザインなど出来るのか?と思います。真のコミュニケーションを持たず、受け売りと空想だけで連日「○○を想う」などというトピックを立てている人種こそ、ヴァーチャルな「Polluters」ではないか。

彼らの特徴として、「日本のアニメやゲームが世界を制覇」などと誇大的表現で讃えるであろうと容易に想像できますが、例えば「若者の犯罪はアメリカ映画のせい」みたいな低レベルな思考で「世界の犯罪は日本のゲームやアニメのせい」と外国から批難されたとしたら、その発言の馬鹿さには気が付くのだろうか?日本人の食生活が乱れれば「食の欧米化」と言い、犯罪が多発すれば「米国化」などと、自分達の原因を、いとも簡単によその国に責任転嫁する事に慣れてしまっている日本人たち。逆におかしな部分を指摘されれば「誤解です」と(さらに「ネットでのコミュニケーションの難しさ」論にすりかえ)片付ける事ができるというのが彼らの特徴だ。

携帯電話のマナーが悪いのは携帯電話や技術の進歩のせいでしょうか?そして携帯電話を無くせば、マナーは良くなると言うのでしょうか?やって良い事・悪い事をしっかり教育する事を怠っているくせに、簡単に物のせい、他国のせいにするような、馬鹿な大人は確かに増えているのかもしれません。子供たちにはそんな大人たちの犠牲になって欲しくないです。

一方、しっかり冷静な見方ができている人達も居てホッとします:
●ゲームは犯罪行為を幇助するのか?
●ゲームは凶悪犯罪の原因だったのか?
●ゲームは犯罪の元凶なのか?
●犯罪はゲームのせい?
07.18 (Fri) 02:04 [ 雑感 ] CM2. TB0. TOP▲


さらにまとめます。よく見てみると「100万人のキャンドルナイト」のトップページにも呼びかけ文にも、見事なまでに「CO2削減」の文字は入っていません。なので嘘をついている事にはなりません。しかし、「この活動に参加することで、少しでもCO2の削減に協力できるなら」と多くの賛同者たちがブログで語っているのに、主催者側はそれは見て見ぬふりで、いざとなったら「CO2削減のためのイヴェントとは謳っておらず、参加者たちの勝手な思い込み」と逃げることが出来るかもしれません。もしも自分が主催者側の人間だったら、そんな風に人を騙しながらイヴェントを成功させる事に罪悪感を感じるし、「電気を消してキャンドルを灯す事は、直接的にCO2削減には繋がりませんが」と一言添えますけどね。確かに表紙ページでは「CO2」という言葉は使っていませんが、表紙ページの「環境省と一緒に全国一斉消灯」から飛ぶページにはハッキリと「CO2削減/ライトアップキャンペーン」と書いてあります。「100万人のキャンドルナイト」の主催者側はそれでも「あれは環境省が勝手に言ってること」と、とぼける事ができるのでしょうか。CO2削減が可能だと思って参加している人達の想いを考えたら、あまりにも不誠実じゃないでしょうか。環境省のそのページには、イヴェントによる「削減消費電力」の数字は書いてありますが、前にも書いた通り、それは「発電したけど使わずに捨てた電力」であって「電気を消したので、これだけの電力を発電しなくて済みました」という数字では無いのです。CO2は全く減っていないのです。

我々の生活で電気を沢山使っても停電しないのは、常に需要を上回る十分な供給を行っているからです。発電した電力は貯めておけません。即座に使わない限りは無駄になります。各電力会社では、電力需要を上回る供給量を常に保証すべく努力しています。そのため常に電力供給は100%以上を保っているのです。たとえキャンドルナイトで電気を消し、僅かに電力需要が下がったとしても、それに合わせて電力供給量を即座に下げることはないです。なぜならその後需要が再び増大し、万が一供給量が100%を切ることにでもなったら、停電してしまうからです。発電というのは小型発電機のようにエンジンをかけてたり、切ったりできるほど簡単ではありません。起動するのに時間がかかり、出力が安定するのにも時間がかかる。一旦停止すれば再起動までまた時間がかかる。小回りがまったく効かないのが大型の発電プラントの特徴です。安定した電力供給が最優先事項なので、一時的な消灯運動ではCO2排出削減には全く効果がないのです。

CO2排出削減に効果的な方法として、最も注目すべき事は「ピークカット」。発電状況を考えると、真夏の最も電力消費の多い昼間の時間帯の「ピークカット」こそが重要なのです。「最大需要=ピーク」を下げれば、発電の容量を下げることができます。原子力発電を主とし、火力発電で補うような運用であれば火力によるCO2排出を削減することも可能です。ですから東京電力の節電のお願いに、「夜電気を消して、ろうそくを灯しましょう」なんて意味のないことを書いてないのは当然のことです。一番有効なのは「昼間のクーラーの温度を低くし過ぎない」・・・これが皆にやって欲しい事です。どうして環境省はキャンドルナイト賛同者たちに、これを伝えないのか。

キャンドルナイトで電気を消す事は、単に「発電した電気を使わずに捨てること」であり、さらにキャンドルを灯す事は「余分なCO2を皆で一斉に出しましょう」という結果を生むだけです。

上の写真のキャンドルの数を数えても、10個以上の100W電球を灯しているのと同じだそうです。6月21日から7月7日まで、日本はCO2増量キャンペーン中です(;´д` )

純粋にエコのことを想っている人達に本当の事は伝えず、協賛金を募ったり、キャンドルの通販とタイアップしたり、どうしてそんな人達の好意を踏みにじる事ができるのでしょうか。

こんなイヴェントがすでに何年も続いている日本・・・おかしいと思います。すでに「日本のヴァレンタイン」のようなノリになってないか。

関連記事:ちょっと変かも?「キャンドルナイト」
06.25 (Wed) 23:18 [ 雑感 ] CM6. TB0. TOP▲
ひとつ前のエントリーで書いた「(良い番組を)作れる人が居ないなら、輸入してでも放送すべき」という事は、過去に書いた日本版「サバイバー」のエントリーでも述べています。今日はその日本版「サバイバー」の映像を見つけました。


出場された宮西さんがYouTubeにアップされているようです。一番の問題はやはり番組を制作する側のセンスの無さでしょう。どうしてネプチューンのようなお笑い芸人が登場する必要があるのか。映像の雰囲気も「TVチャンピオン」的な雰囲気になってしまっています。すでに完成されたアメリカ版が存在し、「この通りに作れば良いのです」というお手本があるのに、どうしてこんなクオリティになってしまうのでしょうか?この文字の多さ、説明の多さは一体?観る人の想像力や感性を馬鹿にしているとしか思えません。本来ならナレーションで説明しなくても、観る人が解るように、出場者の言葉をつなげるべきなのです(アメリカ版にはこんなナレーションも文字も入りません!)。作る側が出来ないがためにゴテゴテと説明や文字を入れ、それを「視聴者に解り易くするため」なんて言い訳しているに過ぎません。そういう点がとても情けないです。しかも、こんな個人的な(家族の)ドラマはクローズアップしなくても、観ている人は(当然)誰にでもドラマはあるものだと解っています・・・そこに頼らなければならない番組というものおかしい(「サバイバー」はお涙頂戴的な番組では無いのです・・・勿論、この無人島で起きた涙の物語ならばOKなのですが)。火を起こすにしても、アメリカ版は「起こすのが当たり前」ぐらいの描き方ですし。ビデオの4:30あたりのナレーションでも解るように「完走者がひとりもいない」・・・僕が以前観た回でも、誰も滝に飛び込めず泣いてしまうという感じで、とても番組として成り立っていませんでした。いや、そういう人が居るのは仕方が無いとは思いますが、出場者のオーディション段階で甘く、これらのトライアルに耐えうる人達を集めるまでは撮影に入るべきではないという、初歩的ミスです。やはり番組を作る側の企画倒れ的なお粗末さが問題なのでしょう。結局、誰も渡れなかった綱を渡り切った宮西さんが、このあと弱い者たちの投票によって追放されているところも、いかにも日本的で面白くありません!なんかとてつもなく「ウェット」なんです。ホストの「さん」とか「です」って言葉や芝居じみた態度もなんか変・・・。

ちなみに「日本版サバイバー」の一般の意見として、下記のような厳しい意見が多いです:

>日本版サバイバーは超A級の出来の悪さだ。
>アメリカ版の方が1000万倍以上出来がいい。それと
>ガイドスタッフの堂々としてない所がムカツク。
>アメリカ版のジェフ・プロブストの方がいかにもプロ
>っぽくて面白い。大体日本版は前置きが長い上ナレー
>ションも無駄に多くてイラついてくる。それと真相や
>脱落者が分かるようなナレーションは入れるな。
>楽しみが無くなる上に自由度も低くなる。
-----------------------------------------------------------------
>TBSの番組は以前に比べ全体的に質が低下している。
>特に、「サバイバー」なる番組はウイークデイの19時
>からにおいて公共の電波を用いるのには、堪えられない。
>演出家、放送作家等は即刻内容を再検討し、公共の電波
>に堪えられる良質の番組製作をすべきである。
-----------------------------------------------------------------
>日本版のサバイバーは腰抜けや体力の無いやつが多す
>ぎる、1stでは高さ15メートルの崖からダイブする
>チャレンジあったがここで飛べなかった者はサバイバー
>にはふさわしくないと思う、さらに驚いたのはチーム
>のために勇気を出して飛び降りたサバイバーが3人位
>連続して次々と消されていった。日本版は画像が悪い
>うえカメラワークもひどすぎる。アメリカ版があれだけ
>美しく仕上がっているのに日本版はあまりにも汚すぎる。
>物資調達にしても商品がちゃっちすぎ、CMも多すぎる、
>丁度いいところでCMにするのはやめろ。日本版なんか
>どうでもいいからアメリカ版を放送してほしい。これで
>サバイバーのほんとの面白さとスケールの大きさを知っ
>てほしいです。

問題は、いくらこういう一般視聴者の声が多くても、作ってる側はまったくそれを反省しない点です。恐らく作ってる側は「日本人に合ったものが必要」なんて言うのでしょうね。


こちら本家サバイバー。火を起こすシーンも入ってます。ナレーターが説明することはありません(前回までのあらすじを説明するのみです)。字幕は聞きづらい部分にだけ入ります。日本版とどこがどう違うのか、それは何故なのかを注意しながら観ると面白いです。日本版のように、お笑い芸人が偵察に来たりしません。そんなものが入り込む余地など無いのです。出場者の顔の表情が俳優のそれのように豊かであるとか、考えている事を自分からしっかり言葉に出来るなどの違いも勿論ありますが・・・。

関連記事:"HOW TO LOOK GOOD NAKED"
04.17 (Thu) 18:51 [ 雑感 ] CM2. TB0. TOP▲


デザインブログ村のエントリーで「Breathing Earth」というサイトが紹介されていました。CO2を1000トン排出するまでの時間を色の変化で表しているマップなのですが、「日本の場合は、CO2を1000トン排出するまで26.2秒。さすが、中国とアメリカは点滅する間もなくオレンジ色のままです。」とのクリエイターさんのコメントがありました。

しかしです、こういうマップを見て、どうして日本人は自分達より悪い国を挙げたがるのでしょうか?広大な国なのだから、面積や人口に比例してCO2が多いのは当然です。例えば100平方km当たりのCO2排出量とか、一人当たりの排出量のように表さなければフェアではありません!そう考えると、こんな小さな国にも関わらず、アメリカや中国、ロシアなどの莫大な人口や面積の国に混じって、真っ先にオレンジ色になる日本ってどうなんですか?(しかもこちらのエントリーで触れたように、この小さな国の4分の1の部分にしか人は住んでいないのですよ。)よその国を批判するばかりで、自分達(日本人)が抱えている問題と解決策については誰も語りません。

問題は「日本がどの国を批判できるか」とか「どの国に勝っているか」ということではありません。

こちらで述べたような、日本人のグローバルではない妙な無知度、そしてこちらで述べたような、成果とは掛け離れたエコに対する日本人の妙な自己満足的思考にとても疑問を感じます。

関連記事:
「無知こそ無敵」
「実より論を重んじる日本」
「日本人が足りない!?」
04.06 (Sun) 01:59 [ 雑感 ] CM3. TB0. TOP▲

「誰が勝つかではなく、国をどう良くして行くかが最も大事」というヒラリー・クリントンの言葉に感動しました。そういう精神は我々日本のクリエイターに欠けていると思います。自分の仕事・都合、手柄、個人的な好き嫌いのことばかりで、業界の問題点から真剣に語るクリエイターのブログってほとんど見かけません(むしろ素人さんのほうが指摘できるぐらいです)。ちょっと前に語ったアクセス数やランキングの順位ばかり気にするような情けないベテランたちばかりです。業界をどう良くして行くか・何が問題なのかをしっかり考えて行くべきです。
01.10 (Thu) 00:29 [ 雑感 ] CM2. TB0. TOP▲
DVDが流行り始めて、ビデオが廃れ始めた頃、100円ショップで日本のVシネマというジャンル(?)のビデオが大量に処分販売されました。80年代後半から90年代にかけての人気タレントや、歌手として活躍しなくなった人達が俳優に転向して出演した映画などです。100円でも誰も買わずに売れ残っていました。それと同じような現象が、すでにDVDでも起こり始めています。「邦画が成功している」と囁かれているここ数年の間に、同じような人達・同じような出演者たちによって、当たる事を夢見て作られたような「同じような作品」が、すでにブックオフのような店では沢山並んでいて、「こんな映画あったんだ?」という感じの、タイトルさえ知らない作品が多く、いつかまた100円処分されるというのは目に見えています。
一方、アメリカ劇場公開され、ヒットした作品でも、日本で劇場公開される事が少なくなりました。劇場公開されずに、いきなり日本でDVD発売(妙なタイトルをつけられて)というパターンが多いです。そのような作品を差し置いて、日本では邦画がブームです。どんな映画製作者も「いつか世界的ヒット」は夢見ている事でしょう。しかし希望だけで叶うなら苦労などしません。

100円でも売れ残ってるつぶやきシ□ーのビデオがありました。いま一発芸的にもてはやされているタレントも、きっと数年経てば「何が面白かったんだろう?」と思われる日が来るでしょうね。そんな事の繰り返しの日本で、僕は成功したいとは思わないです。子供達の将来(どんな努力をして、どんな成果をもたらすのかということ)を考えたら、現在の日本のTVを観て笑ってる事など出来ないのでは?と思います。親が笑ってる間に子の将来を潰しています。

Vシネマ魂―二千本のどしゃぶりをいつくしみ…Vシネマ魂―二千本のどしゃぶりをいつくしみ…
(1999/12)
谷岡 雅樹

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『Vシネマ魂 二千本のどしゃぶりをいつくしみ』
著者/訳者名
谷岡雅樹/著
出版社名
四谷ラウンド (ISBN:4-946515-42-9)

目次
序章 Vシネマを知らない方に
第1章 ビデオ番外地―返せこの野郎ブルース(Vシネマ市場の最終現場から)
第2章 Vシネマの誕生
第3章 これがVシネマだ!
第4章 作品論(1991〜1999)
第5章 Vシネマのゆくえ


Vシネマ時代にはヤクザものが主流でしたが、いまの邦画ブームでは泣かせものが主流ですね。80年代後半から90年代にときめいていた人達が沢山出ています・・・現在の邦画も、今をときめいている人達しか出ていません。

日本人はなぜダメなのかという事には着目しないのか。日本の映画を過去20年を振り返ってみても、まるでこれから20年かけて同じ失敗を繰り返そうとしているようにしか僕には思えないのです。

参考:五月のドラゴン/Vシネマ魂 二千本のどしゃぶりをいつくしみ・・・
12.30 (Sun) 07:00 [ 雑感 ] CM6. TB1. TOP▲