
『広辞苑』が,国語辞典と百科事典を兼ね備えた画期的な辞書として刊行されてから50年余が経ちました。(中略)言葉は文化です.言葉の移り変わりがきちんと反映され、そのなかで、よるべき本来の語義・用法が示されることが求められます。最新版は、これまでにつちかわれた伝統をいかしながら、新しい時代にふさわしい内容となっています。
日本語を私たちの手で守りたい――『広辞苑』は生まれたときからそう希ってきました。この最新版が一層広い読者に迎えられることを希ってやみません。(岩波書店サイトより)
「いけ面」など、時代を反映する新語を 約1万語を追加したとの事です。デザイン屋栗エー太さんのブログに「(イケメンは)言葉の成り立ちが、『マブギャル』(死語)と大差ないような・・・何だかものすごい恥ずかしさを感じる」とありましたが、同感です。もちろん「イケメン」に限らず、言葉の生まれ方と、さらに定着の仕方にものすごく恥ずかしさを感じます。若い世代の言葉に対するいい加減さ・・・これを「文化」として認めるか否かという問題ではなく(←認めても認めなくても明らかに存在するものですから)、もっと重要なのはそんな言葉を大の大人達が一緒になって使っている事に疑問を感じます。流行れば何でもあり、みたいな風潮が大人達にも浸透している。「新しい言葉についていけない大人」は恥ずかしい事ではありません・・・むしろ新しい言葉にホイホイついて行く大人ってどうなの?と思うのです。理屈では「言葉は生きている」と言いますが、文化の乱れさえも変化と受け取ってしまう事に「日本語を私たちの手で守りたい」なんていう心は感じられません。「恥ずかしいと思わなければ守れない」と思います。
僕は日本語中心の生活から離れて約10年になります。ちょうど広辞苑の前の版が出たのが10年前ですから、今回追加されたという言葉たちには特に違和感を感じるものが多いと思います。久しぶりに帰省してTVをつけたらローカル局のアナウンサーがローカル・バラエティ番組で「どんだけ〜?」と、ここぞとばかりに叫んでいるのを聞いて、一時の盛り上がりだけでそういう言葉を使う人にはなりたくないとさえ思ってしまいました。ネットの書き込みでは時々「カキコ」と書いてしまい「書き込み」と書き直します。それぐらいの修正はいつも必要だと思っています。文字の修正というより「心の修正」です。
「ツンデレ」なんて言葉も数ヶ月前に初めてネットで調べて意味を知りましたが、意味を知っても使おうなどとは思いません。「元カノ」なども、略さなくても「元彼女」と言えば良いし(「元カノを漢字で書けば「元彼」で、「元カレ」と同じです)、どうしてこの国に人達ってそんなに何でも略したがるのかなって不思議に思います。言葉を使って人とコミュニケーションする行為を省略しているとも言えると思います。略さないと困難で意味が伝わらないというのなら必要かと思いますが。「あけおめ」「めりくり」「よろです」なんて言葉を使ってる大人を見るとがっかりしますね。子供達に「恥」とか「品格」を教えられる大人が居なくなったという事なのではないかと感じます。
省略語や造語だけではありません:
「サスティナビリティ」
「ヒューマンセンタード」
新しさばかりで、人に伝わり難いことばを得意げに使いたがるクリエイターも恥だと思います。


