「デザイン/アート論」についてはこちらとこちらで書きましたが、まだ彷徨っておられる下記のようなエントリーを見かけました(^_^;)こういう部分で引っかかってしまう日本人は本当に多いですね。
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『アートディレクターは何で「アート」なの?』
素朴な疑問です。
よく、「アート」と「デザイン」は違う、別物だ!・・・といいます。 自分も
そう思ってます。また、「アート」と「広告」もまったく違います。
じゃあですよ・・・ 何で広告のビジュアルを考える人は 「アートディレクター」
っていうんでしょうね???「アート」じゃないんでしょ?!
「ビジュアルディレクター」とかでもいいのに。 なんて思ってしまいました。
やっぱり「アート」という言葉はもっと広いでしょうか?
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前にも述べたように「アート」の定義を「芸術作品を描いたり彫刻したりして売る創作行為」、つまり「デザインすること」と同等の動名詞とするならば、明らかに2つは全く別のものです。しかしこの方が最後の一行で問いかけている「アートという言葉はもっと広い?」というのがまさにその通りで、世界的な概念だと思います。
「デザイン」は工程や行為、そしてそれによって完成した物理的なものを指すもので、もちろん芸術的価値(というと大袈裟に受け取られてしまうと思うので「美しさが評価される」とでも言葉を置き換えてみると良いかもしれません)がすべてのデザイン物に含まれるとも限りませんから、当然「デザイン=アート」というイコールでは結びつきません。しかし美しさ、形の良さが評価されればそれはおのずとアートという価値を持ちます。

『北欧のかわいいデザインたち』

『70s日本の雑誌広告』
こういった本は書店などでもよく見かけると思います。いわゆる「美術本」です。仰々しく聞こえるという方は「アート本」でも良いです(日本語だと、かなり言葉の持つイメージが本質を把握する邪魔をするようです)。
もちろんこういった広告やパッケージ・デザインなどが「芸術作品を作ってやれ」なんていうコンセプトで作られているわけではありません。多くのデザイナーたちが言うように「伝えること」とか「クライアントの要望を形よくまとめる」、「効果をもたらす」というような「目的」が存在します。アート否定派はよく「目的があるのがデザイン」と主張しますが、目的の存在と芸術性(美しさ)の存在は対極ではありません。
自分のイマジネーションのままに筆を走らせる芸術作品も、もちろんアートですが、そういう自己表現的なものだけをアートと捉えてしまう事がそもそも間違いであって、アートはもっと総称的に広い意味をもっていると考えれば解り易いと思います。

『和の小さくてかわいいもの』
飴は食品です。飴を「芸術作品」とカテゴライズする人は居ません。しかし美しさで人の目を引きつけ楽しませようとするその心が「芸術(芸術性)」を自然と生み出します。「飴は食品であってアートじゃないから」なんて言って美の要素(つまり芸術性)を排除していたら、こんな美しいものは生まれません。味がすれば良いだけでなく、色、形、模様を「デザインする」から、この美しさ(芸術性)が生まれます。芸術にも目的があり、その色・形をデザインします←デザインは芸術のための「過程」「手段」であることが解ると思います。デザインと芸術を無理に分離して考えようとするからおかしな理論になるのです。

『日本の紙クズ』大正・昭和の庶民派レトログラフィックス
菓子の色形も、着物の柄も、広告デザインも、パッケージ・デザインも、大きな「アート」という囲いの中に存在すると考えれば、「アートとデザインは違う」とか「アートと広告も全く違う」などという発想は起こりません。但し、美的価値の無いものは、たとえ人がアイデアを練って作ったものであってもアートとして評価されません(「日本の紙クズ」の本に載らない印刷物、と考えると解り易いかもしれません。)

『ガイドサイン・グラフィックス』
道路標識の図柄でさえ、アート本に載るものです。たとえ道路標識のデザイン目的が芸術ではなくてもです。色形の美しさだけでなく目的や機能もアート的観念ではとても重要な意味を持つと思います(例えば「日本の紙クズ」に載っている作品は、どんな人達の何のために用いたチラシなのかという意義を考えるだけで楽しいですよね)。
「人が創造する価値ある形はすべてアート」ぐらいに捉えると、とてもすんなり理解できると思います。その価値ある形を作るのがデザインという手段でしょう?
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『アートディレクターは何で「アート」なの?』
素朴な疑問です。
よく、「アート」と「デザイン」は違う、別物だ!・・・といいます。 自分も
そう思ってます。また、「アート」と「広告」もまったく違います。
じゃあですよ・・・ 何で広告のビジュアルを考える人は 「アートディレクター」
っていうんでしょうね???「アート」じゃないんでしょ?!
「ビジュアルディレクター」とかでもいいのに。 なんて思ってしまいました。
やっぱり「アート」という言葉はもっと広いでしょうか?
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前にも述べたように「アート」の定義を「芸術作品を描いたり彫刻したりして売る創作行為」、つまり「デザインすること」と同等の動名詞とするならば、明らかに2つは全く別のものです。しかしこの方が最後の一行で問いかけている「アートという言葉はもっと広い?」というのがまさにその通りで、世界的な概念だと思います。
「デザイン」は工程や行為、そしてそれによって完成した物理的なものを指すもので、もちろん芸術的価値(というと大袈裟に受け取られてしまうと思うので「美しさが評価される」とでも言葉を置き換えてみると良いかもしれません)がすべてのデザイン物に含まれるとも限りませんから、当然「デザイン=アート」というイコールでは結びつきません。しかし美しさ、形の良さが評価されればそれはおのずとアートという価値を持ちます。
『北欧のかわいいデザインたち』

『70s日本の雑誌広告』
こういった本は書店などでもよく見かけると思います。いわゆる「美術本」です。仰々しく聞こえるという方は「アート本」でも良いです(日本語だと、かなり言葉の持つイメージが本質を把握する邪魔をするようです)。
もちろんこういった広告やパッケージ・デザインなどが「芸術作品を作ってやれ」なんていうコンセプトで作られているわけではありません。多くのデザイナーたちが言うように「伝えること」とか「クライアントの要望を形よくまとめる」、「効果をもたらす」というような「目的」が存在します。アート否定派はよく「目的があるのがデザイン」と主張しますが、目的の存在と芸術性(美しさ)の存在は対極ではありません。
自分のイマジネーションのままに筆を走らせる芸術作品も、もちろんアートですが、そういう自己表現的なものだけをアートと捉えてしまう事がそもそも間違いであって、アートはもっと総称的に広い意味をもっていると考えれば解り易いと思います。
『和の小さくてかわいいもの』
飴は食品です。飴を「芸術作品」とカテゴライズする人は居ません。しかし美しさで人の目を引きつけ楽しませようとするその心が「芸術(芸術性)」を自然と生み出します。「飴は食品であってアートじゃないから」なんて言って美の要素(つまり芸術性)を排除していたら、こんな美しいものは生まれません。味がすれば良いだけでなく、色、形、模様を「デザインする」から、この美しさ(芸術性)が生まれます。芸術にも目的があり、その色・形をデザインします←デザインは芸術のための「過程」「手段」であることが解ると思います。デザインと芸術を無理に分離して考えようとするからおかしな理論になるのです。

『日本の紙クズ』大正・昭和の庶民派レトログラフィックス
菓子の色形も、着物の柄も、広告デザインも、パッケージ・デザインも、大きな「アート」という囲いの中に存在すると考えれば、「アートとデザインは違う」とか「アートと広告も全く違う」などという発想は起こりません。但し、美的価値の無いものは、たとえ人がアイデアを練って作ったものであってもアートとして評価されません(「日本の紙クズ」の本に載らない印刷物、と考えると解り易いかもしれません。)
『ガイドサイン・グラフィックス』
道路標識の図柄でさえ、アート本に載るものです。たとえ道路標識のデザイン目的が芸術ではなくてもです。色形の美しさだけでなく目的や機能もアート的観念ではとても重要な意味を持つと思います(例えば「日本の紙クズ」に載っている作品は、どんな人達の何のために用いたチラシなのかという意義を考えるだけで楽しいですよね)。
「人が創造する価値ある形はすべてアート」ぐらいに捉えると、とてもすんなり理解できると思います。その価値ある形を作るのがデザインという手段でしょう?


