nagaokakenmei.jpg

ナガオカケンメイさんの考え方にめちゃめちゃ共感しました。いつもこのブログで繰り返し述べている内容とほぼ同じです。

映像はこちら。

『いまのデザイナーの人には申し訳ないけど完全に「遊んで」ますよね。「こんなの作っちゃいましたー」みたいな、そういうのは許せない。』

『昔のデザイナーは「良き生活者」として、自分で欲しく無いものは作らなかった。いまのデザイナーは表面的な形を作るだけの職業に成り下がってしまって、自分で作っておきながら使い勝手が悪いとか、環境に悪いとか、ものの作り方の考え方が違う。』

前のエントリーでも触れましたが、デザインを作る人に「時間」という概念が無い。物が形でしか無いから、生き続けるデザインと、生きるデザインの場所・時間というものを全く大事にしない(作る人が良き生活者として大切にしていないのだから当然)。毎日のように「こんな斬新なデザインが出ましたー」って取り上げて人に薦めてる人達って、決して自分ですべて買ってるわけじゃない。買い替えていたらたまらない。結局、形と機能に注目するだけで、ほとんど作り捨て。しかもいつも斬新なものしか取り上げない。「良き生活者」としての概念はみじんも無い。

ナガオカケンメイさん的な真のデザインの在り方が広まってくれると良いけれど、「エコバッグ」のように、ブームとして安易に便乗して真似ごとをするだけのクリエイターは増えるかもしれない。

関連記事:「デザイナーたちの自己満足2」
  
コメント

はじめまして、最近こちらを知りまして、RSS購読させていただいてます。
僕はデザインではなく工芸(鋳金)を学んでいる学生です。

ナガオカケンメイ、日本でこういう方がいることに感動しました。
戦い、ですね。

僕の大学でもデザイン科の人だけとは限らないのですが、卒業シーズンとなると学校のゴミ捨て場が家具、家電の山と化します。不法投棄になるはずなんですが…。
捨てられたものはデザイナーっぽいにおいが感じるものが多く、使い捨てなんだとガッカリします。
僕は使えそうなのが捨てられてないかよく見にいきました。
でもほとんどが生活にひとつあればいいものなのでめったに拾いませんが、本当にもったいない。
この時期リサクルショップもこういった家具家電で溢れかえります。どこも飽和状態で最終的には買取も拒否されるようです。
捨てられては生産され消費される、それの繰り返し、捨てるためのデザイン(生産)の悪循環。
デザイン科の制作においてもこういったガッカリ感を抱くことが多く、ナガオカケンメイのような思想がブームでもいいから広まってほしいと切に思います。

よい記事ありがとうございました。
---------- [ 編集] URL . 06/18, 16:39 -----

翔さま。コメントありがとうございます。
学生さんですか!これから世に出られる方々に僕は祈りと期待をかけています・・・僕自身、すでに業界では中堅クラスの世代ですが、業界の問題点とその原因がハッキリ見えて来たのは、ついここ数年の事で、それまでは「(日本の)業界ってそんなもの」という感じでしっかり見つめて来ませんでした・・・日本の現場は一旦見捨て、世界的クオリティから学びながら自分の事をするのに精一杯だったというか。
それで世界から日本を見たり、外国の事を知って、クリエイティヴの本当の在り方を知ってから、再び日本を見てみたら、あまりの酷さにびっくりというか、失望しました。特に、中堅世代以上の人達の考え方が未熟で、いい加減で、常に理屈を並べてクリエイターぶっているだけで、生活という本質を全く大事にしておらず、大事にしない理由を「時間が無い」そして、それが同時に「売れっ子自慢」になっているという、どうしようもない状況で、その結果が現在の悲惨な状況なのだと思います。悲惨な状況になる原因(考え方)がハッキリ存在します。しかし誰もそれを問題として取り上げません。まるで「禁句状態」のように。
我々がデザインを始めた時代は、ネットも無く、手探りでやれる事を探って来たという感じでしたが、これからの人達は色々な考え方に触れる事が出来るし、良いもの・悪いものの理由・原因などを細かく観察することが出来ますよね。
どうか、すでに業界の悪い習慣に染まっている人達の影響は避け、いま持っている情熱を「良き生活者・堪能者」で有り続ける努力と共に、良い方向に活かして欲しいです。
矛盾だらけの業界で、矛盾をちゃんと指摘し、どうすべきなのかを常に見失わないで、言うより行動で起こせる人になるというのが、真のクリエイターだと思います。
このブログではデザイン以前の、そんな「生活者・堪能者」であるための日々の出来事や考え方を示して行きたいと思っています。その基本が出来ていなければ、人に提案できるものなど何も作れませんもんね。
---------- morito [ 編集] URL . 06/18, 18:52 -----

お久しぶりです。(私は毎回読ませていただいていましたが)
一般人として思ったこと、実感したことなのですが、
最近ソファが欲しくて探しているのですが、なかなかこれといったものが見つかりません。
日本のものは「斬新なデザイン」か「マンションサイズに合うコンパクトサイズ!」というようなものばかり。
アメリカとイギリスしか知らない私ですが、そこで感じたことは、
使って心地よいものは美しい、逆を言えば真に美しいものは使いやすいということです。
それは今に始まったことではなく、昔からそうだったのではないかと思います。
奇抜で目立ちたいが先に立っているものは、作った本人は何時間も座ってみたのか?と言いたくなります。
いつもmoritoさんがおっしゃっているように、日々をちゃんと味わっていない人たちが「プロでござい」と、それを買う一般人のことを頭に入れてもいずに、何のためにデザインしているのか?と、一般シロウトの私でも疑問に思うのです。

上のコメントの翔様のような学生さんが、moritoさんと出会って、
「忙しい」を自慢にしているおバカさん(苦笑)にはならず、
moritoさんの精神を受け継いで、そして自分の日々を豊かに暮らして素敵なデザインを作る方になっていただきたいです。
---------- じゅじゅ [ 編集] URL . 06/19, 00:47 -----

じゅじゅさん、こんにちは!
このトピにこんなにレスがついて嬉しいです。特に一般の方やまだプロでない方の「偏らない視点」での意見はとても貴重です。僕も常にデザイン・コンシャス(意識過剰)になり過ぎないように、一般の感性豊かな人達の中で過ごし考えるようにしています。作る者どうしで話し合ったって、作り手の言い分ばかりになりますもんね。
ソファ類は確かに日々斬新なデザインが生まれていますが、そのスピードに合わせて人の体型が急激に変わるわけでも、人の生活スタイルが変わるわけでも無いのですよね。だから基本がしっかりしているオーソドックスなものでも十分で、そんなに買い替えるものでも無いですよね。良いデザインのものを買う人は長く使い続けるということで、常に最新デザインのものを身の周りに敏感に取り入れているという見せかけクリエイターは思い切り矛盾します。もちろん「エコ」なんかとも矛盾しますし。クリエイターがブログなどで決まって取り上げたがる有名な椅子(ストゥール)がありますね・・・僕はそういうのはあまり興味がありません。その椅子だけ取り上げても、そんな硬い椅子に座って過ごすシーンは想像出来ないからです。飾って置くか、人に見せて自慢するぐらいしか想像できません。それより、誰かの家に行って、その人が買った椅子に座らせてもらって、その心地と共にどんな時間を過ごさせてもらうかという「エッセンス的」な部分にしか興味がありません。昨日のエントリー(ARTS FOR LIFE)のビデオの中で、書籍のそばの植木鉢の中にインドネシアの影絵人形のようなものが差してある事に、ビデオを編集している時に気付きました。その人がどんな遊び心でそれを買って植木鉢に差したのか、想像するだけで楽しいです。気がついたら、まるで森の妖精のようにそこに居たんですよぉ(あそこに差されていなかったら、単なる無機的な雑貨です)。その人間でしか有り得ない心が、部屋を構成し、それが美しさになるんですよね。たとえ物が沢山あっても、そこで生活していない、乱雑で味気ない部屋は魅力的ではないです。クリエイターのブログを観察していると、閉じこもって一人で考えている人が多い気がします。それは味気ない部屋に閉じこもって、楽しい部屋を想像しているようなものだと思うのです。そんな時間さえ持たない人達に提案なんかされたくありません。
---------- morito [ 編集] URL . 06/19, 01:27 -----

はじめまして。

随分前なんですが、
拍手の方ではコメントを入れさせていただきましたが、
こちらには初めて書かせていただきます。

ウチの会社は商業デザインですし、
もっとずっと、地味〜な仕事が多いもので、
やはり需要や実生活における日常的感覚を
意識するようにはしていますが...
なかなか原研也さんやナガオカケンメイさんのような、
日常に寄り添うような、良質のデザインを作ってみたいものです...

たまたま読ませていただいた記事なんですが、
とても共感、襟を正す気分になりました。
---------- COWTAN [ 編集] URL . 06/19, 13:43 -----

COWTANさん、こんにちは!
足跡でご存知かも知れませんがブログはよく拝見させていただいています・・・というか、右側の「見習いたいクリエイター系ブログ」リストに入ってます(笑)クリエイターとしての発信記事と生活者としての発信記事のバランスがとても良いので、良い環境でお仕事なさっているんだなと、安心して読めるブログですね。そういうクリエイターのブログが本当に少ないです。
僕は広告デザイン畑(と言ってもローカルの地味〜なやつですが)出身で、嘘っぽい大袈裟なコピーや品の無い媒体づくりに空しさを感じたものです。「クライアントの要望」という決まり文句はむしろ都合の良い言い訳で、結局は自分の収入のために世間を汚すような仕事を忙しくやって、生活者としての自分の人間的成長に関しては全く無頓着で(←頭で深く考えるだけで出来ていると勘違いしていたかも)、それでいて「すべてはお客様の為に」みたいな奇麗ごとだけは言ってましたね(汗)たしかに「希望的」な言い分ではありましたが。「クライアントが良く無いから」とか「クライアントの要望だからしょうがない」とかで逃げていたと思います。でも結局、最終的に何のためにデザインしているのかという部分は解っていなかったように思います。「デザイン」が仕事であるのは確かですが、仕事でしか無かったのかも知れません。良い生活者では無かったし、良い生活者も知りませんでした。言えることはデザインのプロである事の主張→理屈と、専門的なうんちく、そして頑張ってるというアピールでした。ほとんど頭の中で出来る事で、閉じこもった生活をしていても出来てしまうんですよね。
http://design.blogmura.com/
今日もそんな記事が満載です。特に受け売り情報や参考書に載ってるような事ばかり書いて、クリックを促しランキングばかり気にしてるベテラン勢って・・・空しいですね。業界を正しい方向へ導くべき人達が一番駄目世代。こういう人達が上でのさばっている以上(実際、教える側であったり、セミナーを開く側だったりするのですから)、日本の現場を変えるのは難しいのかも知れません。
「クリエイターや業界の問題点」というトラックバックコミュニティを作っても、誰も寄り付きませんね(汗)
http://design.blogmura.com/tb_entry89312.html
まぁ、それが現場の現実でしょうか。やはりクリエイティヴの意味が解っていないのかなって思います。ナガオカさんの「いまのデザイナーは表面的な形を作るだけの職業に成り下がってしまって」という言葉は本当ですね。

---------- morito [ 編集] URL . 06/19, 15:21 -----

エキサイトにあったトップ・トピック:
『世田谷の廃校でエコなナイトイベントを』
http://woman.excite.co.jp/life/topics/rid_1811/

いや、別にエコを謳わなくても「キャンドルの灯りを楽しむ会」で良いと思うのだけど・・・。沢山のキャンドルのCO2排出量がどのぐらいなのか知りませんが(笑)その場所に行くのに車とか使ってなければ良いですけど・・・。イベントPR用に印刷してたりして?(汗)なんか「エコしてます」っていうクリエイターたちの宣伝にしか見えない。

一時的、そしてやってる人達だけの自己満足では何の意味も無い。やることが特別だと思ってること自体が変。

(追記)
早速「デザインブログ村」で取り上げてる人がいました(汗)単なる引用記事で自身の考えは全く書いてない記事でしたけど。やっぱりクリエイターですね(←皮肉ですよ)
---------- morito [ 編集] URL . 06/19, 21:09 -----

コメントありがとうございます!

先の書き込みなんですが、
仕事の合間に書いたもので、
随分とおかしな文面になっていましたね...
失礼いたしました。

ウチのブログなんかは、かなりいい加減ですので、
お恥ずかしい限りです...
今はまだほど遠いかもしれませんが、
ほんとうに良い生活者でありたいものです。

ブログ村、後ほどゆっくり拝見してみます。


エコの話ですが、
日本に於いてはまだまだ企業や団体の売名行為や
税金の無駄遣いの口実を以外の何者でもないですよね...
このままで良いのかと思いつつ、
非力な一国民に甘んじている情け無さ...
---------- COWTAN [ 編集] URL . 06/20, 02:26 -----

いえいえ、僕のレスのほうがおかしな文章かも知れません(笑)
あまり気にせずにストレートに書いてますんで。

ブログは「自分発信」的なものであるべきだと思うんです。毎日のどんなに小さな事でも良いので、自分から発信する意義があることを伝えてこそ、個人のブログとしての意味があると思うんです。だから人がすでに書いてる受け売り情報を自分も書くという意味が解りません。デザインブログ村、最近では「iPhone日本で発売!」と「新東京タワー名称決定!」が目立ちますね。ネットで情報が出たばかりの時は、同じ時間帯に同じようなタイトルが並びます・・・皆「自分が最初に伝えたい」と思ってるんでしょうか・・・随分あとになってから書いてる人も居ますが、内容は同じです。皆がやってる事と全く同じ事をするという妙な日本人体質がクリエイターにも多いようです。僕なら「人がすでにやってる事だから自分はやらない(自分がやる意味がない)」と考えるほうですが、世のクリエイターたちは逆のようです。

「ナガオカケンメイ」という検索で辿り着く人がかなり多くなりましたが、彼の概念に共鳴するなら、クリエイターとしてそれなりに自分の行動として示さなければならないわけですから、安易には取り上げられないという感じなのかも知れませんね(笑)下手したら、今までの自分たちの行いの否定になりますから!

一つ目のコメントで翔さんが書いてくれた「ブームでもいいから広まってほしい」ですが、確かに広まらないよりは広まってくれたら良いですが、問題は「ブーム」は一時的な事でしか無いという部分です。一時的な盛り上がりだけで忘れ去られるのがブームですから、そういう日本人体質を何とかしなければ、どんなものも築けませんよね。何も築けて来ていない日本という事に早く気付くほうが先かもしれません。

そういった問題点に触れるクリエイターが皆無であることが、僕には全く理解できません。
---------- morito [ 編集] URL . 06/20, 15:50 -----

僕の通っている学校は金沢美術工芸大学なんですが、つい先月にナガオカケンメイが講演に来ていたという事実にショック!
ああ、聞きたかった…ちくしょう。

moritoさんお返事ありがとうございます。
盛り上がってますね!
日本がどうとか、難しい話にはわからない事が多いのですが。
明治以降日本が築いてきたものがあるのか不安です。
生活するうえでの基盤というかそういったところが築けていないのではと思います。
今の憲法も社会制度も文明もほとんどが輸入品だと聞きます。
芸術という一分野においても、美術館のあり方、利用者の理解度が輸入元である西欧とは全然違います。
西欧にはそういった思想がちゃんとあるのに、日本にはどうも見当たらない。
自分自身には有るのかと聞かれれば疑問です。
僕にはまだ、どうするべきかもわかりません。
moritoさんとしては「何も築けていない日本」をどう考えているのか気になるところです。
---------- [ 編集] URL . 06/20, 22:44 -----

Wow!ケンメイさんにニアミスでしたか!惜しかったですね。

僕も昔の事情は詳しくは解らないのですが、明治維新に日本人が西洋の文化を取り入れた時には、西洋文化へのリスペクトがあって、改革にも精神があったと言われています。僕のアメリカ人の友人達は、その頃の日本の文化や芸術にとても興味を示します。明治維新後は、神道が国家宗教として保護されたので、遷宮は国家事業となりました。 ところが、第二次世界大戦によって、事態は大きく変化したようです。神を失った状態なのかも知れません。いまの日本と欧米の文化の大きな違いは、やはり宗教的(信ずるものに対する)誇りではないかと思います。(僕自身、宗教に関しては全く無頓着です・・・)
このブログで何度も触れていますが、僕は日本人の「謙遜」とか「謙虚さ」という美徳が、悪く作用していると思います。出来ていない事を恥じない。また「無くても良い」と言い続ける。戦後は芸術に関してもそうだったと思います。勿論裕福でなければ縁の無かったものかも知れません。「音楽?知らなくても良い。芸術?知らなくても良い。旅行?行かなくても良い」みたいな、「〜じゃなくても良い」精神は今でも根強く染み付いているように思います。「知っていなくては嫌だ。立派な国民じゃなくちゃ嫌だ」という誇りが欠如しています。このブログでは「負け犬精神」という言葉で以前書いたと思います。こことか↓
http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-1216.html
9.11以降、世界的に批判されているアメリカ政治を「アメリカ」という文化すべてを混合して見下し、いろんな意味で勝った気になっているのが気になります。それに拍車をかけるように、日本のメディアの質の低下によって、偏見まじりの正しくない「海外情報」が氾濫し、このままメディアを信じていたら日本人自体が馬鹿な国民になってしまわないかと、とても心配になります。
日本の文化が世界に受け入れられるには「勝つ」のではなく「調和すること」が必要なのだという事を、日本人はまだ学んでいません。戦争で負けた日本が、また戦前に逆戻りして盲目的な「打ち負かし精神」を燃やしているようにさえ感じます。世界平和も調和無しでは実現しないし、芸術だって同じです。エコに関してもこんな感じ:
http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-1210.html
こちらも同じような記事です:
http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-1206.html
また、自分も昔は太っている欧米人の食生活に対して、同じような決めつけ的な概念を持っていたのですが、
http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-455.html
↑こちらの記事のような考え方が日本人の中に蔓延っています。
こんな思いを腹にかかえて日本人がどこに出て行っても、その国の人達とは仲良くなることは出来ない、つまり調和しないです。本当の意味で日本人がグローバルにならないと、日本人の作り出すものが世界的にリスペクトされる事は無いのではと思います。
日本人は世界の事を知らなさ過ぎます。入って来る情報は事件・事故のニュースや、アカデミーやグラミーなので誰が授賞したかというようなデータ的な事のみです:
http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-1148.html

>西欧にはそういった思想がちゃんとあるのに、日本には
>どうも見当たらない。
>自分自身には有るのかと聞かれれば疑問です。

僕も日本で生まれ育ち、日本のTVを見て育ち、宗教も持ちませんけど、例えば欧米の街並がどうして美しいのかとか、どうして彼らの音楽は受け継がれて行くのか等、一堪能者として見つめたり、実際に交流を持ってその秘密を探り出す事ってとても楽しいです。また、日本人として恥ずかしくないようにしなくては!という誇りは常に感じるようになりました。

---------- morito [ 編集] URL . 06/21, 00:38 -----

↑5つほど上で書いたエコ・キャンドル・プロジェクトですが、こんな記事を発見!
http://musosha.air-nifty.com/mplatz/2008/06/100_b648.html

>主催者によっては、灯したろうそくの本数を競うような側面も出始めているとか。
>1回のイベントで、1000本以上のろうそくを点灯することもあるそうです。
>ろうそくの種類にもよるそうですが、従来のろうそくだと、3本で100Wの電球を
>点灯するのと同じ程度のCO2を排出するそうです。たしかに、それでは本末転倒。
>何のためのキャンドルナイトなのか解らない感じもします。
>今一度、温暖化防止に向けて、CO2を減らすために電気を消すという原点に立ち
>返ってみる必要があるのかもしれません。

やっぱりね(笑)言った通りでしょう・・・(汗)

>ただ、いくら意義のあることでも、ごく一部の盛り上がりでは、その効果はわずか
>なもの。

こういう事をちゃんと指摘して行く事って、ほんと大切だと思います。
ちゃんとやっている事(目的)に焦点を当てて・・・。

---------- morito [ 編集] URL . 06/21, 01:00 -----

エコ・キャンドル・プロジェクトですが、
批判的に捉えた意見を聞くと、
きっと主催者側の言い分は、
自分達の出来る、「まず第一歩が大切なんだ!」
と言うでしょうね。(^_^;)

考えるより、まず何か行動する事が大切ってね。

だけど、こういうイベントって、
いつも「第一歩」で終わっているのが気になります。
そう…。デザインのリセットと同じように。
きっと、エコ活動と称したキャンドルの明かりですが、
すぐに飽きられ、リセットされ、
次には別のエコ活動と称した、
またまた「第一歩」が始まるのです。
その繰り返しで満足してる気がしてなしません。

moritoさんの言葉に、
皆「自分が最初に伝えたい」と思ってるんでしょうか
という行がありますが、
このエコ活動も同じように感じました。
いろんな場でいろんなエコ活動がありますが、
どれも調和がとれてるわけではなく、
早くイベント的な事をやったもの勝ちみたいな感覚で、
結局、皆同じような事をやって、
皆が「まず第一歩が大切なんだ!」って言ってそうです。
そして、二歩目はこの先ずっと現れない。って感じですよね。
---------- KOJI [ 編集] URL . 06/21, 08:26 -----

答えて下さり、ありがとうございます。
土曜の朝から考えさせられます。今日はいい天気です。

アメリカの食については同じようなことを思ったことがありますね…。
ダメダな〜俺は

そういった問題の本質は、本質をみようとしないことなんですね。
でも、これだけ全体がそうなってしまったのって何か理由があるんだと思います。
やっぱり敗戦でしょうか?
本質をみることにトラウマがあるというか。
全体として本質をみないほうがいい、という判断がどこかで下されたかもしれない、と思いました。
今の日本人は、決め付けや根拠のない批判、その場しのぎで一喜一憂していればいいじゃん的な生き方ということですね。
moritoさんも書かれてますが、今ここまで来て日本人が、デザイナーが本質をみて自らに失望するよりも、見ようとせず自らを肯定していかないと自己が保てないという恐れがあるんでしょうね。

日本のプロダクトにおいても、その場しのぎが上手いから改善で一時期は世界トップレベルにまでなりましたが。
改善はできるけれどなぜか日本からは新しいものが生まれない。
日本はなぜipodやdysonのような革新的な製品が作れないのかという話からもわかるように。
本質をみていないから作れないということなのでしょうね。

本質をみれる眼になりたい!です。
---------- 翔 [ 編集] URL . 06/21, 09:38 -----

@KOJIさま

そうですね。いつも体質は変わりません。
http://www.candle-night.org/jp/
↑オフィシャルページがありました。
エコがイベントであることに疑問を感じます。
エコと結びつけなくても、「やさしい灯りの中で時間というものを見つめ直してみませんか?」という主旨で十分だと思います。以前も書きましたが、日本人の灯りのセンスは酷いと思います。昔から欧米人はほのかな灯りを大切にした生活を送っています。食卓に蛍光灯は無いし、食事中TVをつけることもありません。そういった事を日頃あたりまえに出来ている人が提案するなら解りますが、そうでない人達が一時的にイベントでやっても何の説得力もありません。KOJIさんのところの記事にあった「○○強化月間」と同じですね。
あのプロジェクトを聞いて、まず「キャンドルのCO2排出量」が気になりました。火を使っているのですから、そりゃぁモロに排出でしょう。いくら暗い灯りだからと言って、「暗ければエコ」とか「火なら自然」なんてのは、あまりにも短絡的な考え方で、「本当にエコなのか」という部分は誰も気にしない(気にしようとはしない)です。当然、何かをしようと思えば必ず電力や資源を消費します。なので「やさしい灯りの中で過ごしてみようプロジェクト」であれば、矛盾は無かったと思います。偽善的に「エコ」をくっつけて、それをクリエイターのイメージアップの広告にしようとしているところが、めちゃめちゃ格好わるいと思います。だってエコを実践して行くのは「人々」でしょう?どうしてクリエイターたちの顔を出さなくちゃいけないんですか?
http://www.r-school.net/people/
クリエイターが世間を変えて行くリーダーだなんて思ってる事自体、とんでもない勘違いだと思います。

@翔さま
原因が一つではなく、長い時間をかけて絡み合っているので、なかなか鎖をほどくのは簡単ではなさそうですね。習慣や染み付いた考え方の打破がキーポイントかもしれません。島国なので、いろんな人種や概念が入りにくいというのも原因でしょう。言語も理由のひとつだと思います。僕はいつも「ひとつのチャンネルで良いから日本のTV(無料放送)で欧米の番組だけ(ドラマばかりではなく、もっと全般的なもの)を流すチャンネルを設けるべき」と言っていますが、日本人は日本のTV局(お決まりのメンバー)が作る低レベルなものをそのまま観るしか無くて、選択の幅が全くありません。これでは完全に文化的無知になってしまいます。感覚的に調和しません。物質主義の日本では、製造面では優れているかも知れません。でも生活は魅力的とは言えない気がします。
しかしまだ救いがあると思えるのは、例えば日本でもブルーノートのような場所に行けば、大勢の人達が素敵な音楽と料理に自ら貴重な時間と金を費やして過ごしていたり、平日でも森の中の美術館に行けば多くの人々が芸術を堪能していたり、高級レストランも週末となれば予約を取るのも難しいぐらい賑わっているという現実を、自ら実感する時、「僕はこういう日本人たちと調和し、築いて行こう」と思えるのです。一方その頃デザインブログ村では「時間が無いので自分は行きませんが・買いませんが・食しませんが」みたいな急がし自慢が繰り広げられていて、「こいつら、ふざけるな」って思うのです(笑)「祝!御礼!累計アクセス○万人!」なんて、数字ばかりで実を重んじないロボット人間ばかりなんですから。
http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-827.html
http://artshrine.blog9.fc2.com/blog-entry-1114.html
---------- morito [ 編集] URL . 06/21, 18:20 -----

キャンドルのエコ?
我が街でもキャンドルナイト2008と称して活動してました。
エコをテーマに今朝の地元新聞に載ってました。
なんだか、ブームに乗って
日本全国各地でキャンドルに火を灯してそうですね。
ブームで至る所でキャンドルに火を灯すものだから、
キャンドルから出るCO2の排出量がかなり上がってる感じですね。
全然エコにならないイベントだと思いますよ。
---------- KOJI [ 編集] URL . 06/22, 13:09 -----

久々に日本のTVを観て、TOYOTAの「エコ買い」のCMに愕然としました(一緒に観ていたアメリカ人も唖然としてました)。「まだ使えるけど」・・・いま使ってる電球捨てましょうってか?日本中の人全員がいますぐ実行したら、一体どれだけの無駄な(まだ使える)ゴミが出るのでしょうか!強烈な馬鹿メッセージに顔面殴られた感じでした。いまだに信じられません。
キャンドルのエコに関しては別トピで書いてみます。
---------- morito [ 編集] URL . 06/23, 03:35 -----

moritoさま

お久しぶりです。再びTB頂けるなんてとても嬉しかったです。
ありがとうございました!
moritoさまや皆様の意見、非常に考えさせられます。
今はすべての分野において表面的な事がクローズアップされやすく、矛盾を抱えている事が多すぎると感じます。
と言う私も自分の仕事を振り返ると、反省しなくてはいけない事が多々あるのも事実です。「事の本質」を見極め、自分自身悔いの無い仕事、人生をこれからも歩んでいきたいと思います。
今後もmoritoさまのブログを拝見させて頂きますのでよろしくお願い致します。
※以前もご指摘頂きましたが、私のブログのコメント受付が調子悪いため、TB表示のみでした・・・(汗)
---------- takayuki [ 編集] URL . 07/10, 00:27 -----

takayukiさま
こんにちは!やはりデザインは表面的な細工ではなく、個人の質の改善から実行して行く事が必要ですよね。努力するところが違う・・・と思うクリエイターを多く見かけます。ナガオカケンメイさんの主張はデザイン業界の法則をひっくり返してしまうぐらい大胆なものですが、共感している一般人が多いという事を決して無視できないし、クリエイターもしっかり一個人として「生活者」の眼を持つ必要がありますね。
トラックバックですが、最近はコメントを入れずに投稿する事が多くなりました(何だかスパムものと一緒にされそうではありますが)あくまでも「自分も同じ話題で書いてみましたが、どうでしょうか」という"ご案内的"感じで、もし共感出来なかったら無視してくれても良いし、共感したらトラックバックを受け付けてくれて、コミュニケーションが持てたらという考えです。トラックバックとコメントの両方をしたら、された側は返事をしなければならないと思うので、一歩引いた形でそうしているつもりなんです(^_^;)
---------- morito [ 編集] URL . 07/10, 03:35 -----
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[思考][デザイン]生活者としての眼
今日朝起きて、ふと表題の言葉が思いついた。 ここ数日、グラフィックデザイナー鈴木盛人さんのBlog「鳥獣遊画」やナガオカケンメイを読み漁っていたからだろう。    結局、デザインって欠如から生まれた行為だよね、というより創造の全てがそうだ。 今のデザインって欠如
CaMiL 06/20, 22:06