PASSION - 気付く人・築く人
●Yanni -"Reflections Of Passion"
上の映像とは関係ありませんが、数ヶ月前にTVで見た中国人と日本人のやりとりが印象的で忘れる事ができません。仕事をしながらバックで流していただけで、最初からちゃんと観ていたわけでは無いのですが、就職活動中の日本人学生たちが研修生として中国の企業(職業訓練所だったかも)を訪れ、中国人の就職活動中の学生たち(すでに働き始めた新人社員たちだったかも)と泊まり込みで生活するというような内容でした。日本人学生達にとって、その研修自体が、提出するレポートの答え探しみたいな感じだったのですが、最後に一人の日本人がアンケート形式で「あなた達は何のために仕事をするのですか」という質問をしました。どんな答えが返って来るかを期待しての質問でしたが、中国人の若者たちは、答える事ができませんでした。「何のために仕事をするのか」という質問の意味(発想)が解らないのです。日本人学生は大きなショックを受けます。「何のために仕事をするのかなんて、選択肢がいくらでもある甘い日本に生きる自分達にしか思いつかない概念だった」と鈍器で頭を殴られたような感覚だったようです。仕事をする=生きる事である中国人の若者たちに「何のためにそれをするのか」なんて考え悩む余裕(選択の余地)さえ無いのだということ。やらなければ死ぬことと同じ彼らにとって、その質問の意味(余裕・甘さ)が理解できなかった。
余裕というものは人を駄目にするのかも知れない。選択肢を多く与えられるほど、どれにも本気になれない。「これやっとけば大丈夫」という風にいくつも社会的安全牌(という安心)を確保して生きて来た人が、結局多くある選択肢をどれも生かせなかったりするのは、情熱が伴っていないから。あれこれ中途半端に出来ても、あらゆるチャンスを「情熱が無いんですよねぇ」と他人ごとのように葬る(確かに情熱が無いのは事実。つまり情熱=努力の気)。無い物ねだりで、努力して極めた人達の持ち物には憧れる。しかし情熱的接点などあるはずが無い。
子供に色々な可能性を与えてあげる事はとても大切な事だけど、選択肢の一つに情熱を持って努力して極めるという事を教えられなければ意味が無い。自分は信じなかったのに、子の世代には信じろと?それでは都合が良過ぎます。別に「世界的にならなければやる意味など無い」というわけではありません。やらない理由を「そんな風にはなれないから」と努力の積み重ねから放棄するのは、あまりにも愚かな事だ。近道など無いのに、試験の「結果」のような不動の確証ばかり得て安心したがる「ゲッター」人間はとても苦手です。
「自分にはこれしか無いのだ」という生き方をしている人は常に真剣。後にその情熱が作り出すクオリティで裕福になったとしても、精神は失われることはない。
「 PASSION - 気付く人・築く人 」へのコメント
「 PASSION - 気付く人・築く人 」へのトラックバック
http://artshrine.blog9.fc2.com/tb.php/1489-f9064ff8










