勝利とはすべての人達に認めてもらうという事

つい先程もデザインブログ村で「日本はアニメの国です。」というエントリーを見つけたので、過去エントリーのコメントで「"日本のアニメが世界で認められている"と日本人は言いますが、実際外から見るとちょっと違うかなと感じるところ。この件は別トピックで書く価値ありかも知れません。」と予告した事について書こうと思います。

「日本のアニメは世界に認められている」みたいな言葉を日本人たちが言うのは(嫌というほど)目にしますが、実際に外国の人達がそう言っているかというと、むしろアニメよりゲームのほうが有名という感じがします。

G4のこちらの番組のように、日本のゲームに敬意を示すものはアメリカのTVではよく見かけます。実際、映像を観て「凄い!」「面白そう!」と感じるものばかりで、僕自身、こういうのを観ると「日本のゲームは発想も技術も優れているなぁ」と関心します。一方アニメですが、僕個人としても宮崎アニメの美しさや繊細さは素晴らしいと思うのですが、アメリカで受け入れられているアニメはキッズ・チャンネルで放映されているようなものばかり(NARUTO, YU-GI-OH, POKEMONなど)。そしてそれに夢中になるのは子供達で、決してハイティーンや大人達ではありません。あくまでもキッズ・チャンネルで子供が観ているものであって、アメリカのTVのメインストリーム(つまり大人たちが観るもの)で評価されているわけではありません。それでも、アメリカの子供達を楽しませているというだけでも、僕としては「日本人クリエイターの子供的な感性が、アメリカン・キッズを夢中にさせているのだな」とは思う(日本人クリエイターがインターナショナルに活躍するに於いての強みだと思う)。

ただ、実際に海外に出て外から日本を視る機会も無い日本人たちが言う「日本のアニメは世界に認められています」みたいな事には、かなり温度差を感じます。一部の大人達もが認めている「日本の凄さ」はむしろゲームのほうで、アニメは「子供が観てる(さらに、決してそればかり観てるわけじゃない)」というのが現場での体感的温度です。なので、そういう事を体感的に解らずに、単に「威張ってしまう」日本人が居るという事が、僕としては気になるというか、無知さに笑えるというか、「もっと的確に状況を把握できれば、強みをもっと育む事が出来るのに」と感じるのです。

また、「日本はアニメの国です」に違和感を感じない人でも、「日本はゲームの国です」と置き換えれば違和感を感じる人は少なく無いかも知れません・・・万人がゲームをするわけじゃないし、ゲームに対してネガティヴな印象を抱いている人(ゲームをやらない人達)も少なくありませんから。ゲームが日本人の生活のメインストリームのものでは無いように、アニメも生活のメインストリームのものとは言えません。「世界に誇れる」という概念を植え付けられたら、誇示したくなるのも無理は無いのかも知れませんが、もっと冷静に現実を捉える必要はあると思います。


現在US版iTunes Storeで「UNDER $5」キャンペーンで出ている「Barbie in the Nutcracker」。キャラクターの表情の豊かさや、伝統的なテーマを扱った格式の高さに打ちのめされました。しかし彼らにとって、これは単なる Barbie Story(日本で言うところの「リカちゃん物語」という感じでしょうか)・・・腐る程あるアニメの中で埋もれている「子供向け(さらに「女の子向け」)」に過ぎません。もし日本でこんな映画を作ったら、日本のメディアは大騒ぎじゃないでしょうか。そもそも1940年(68年前ですよ!)に「ファンタジア」を作っていたアメリカの現場ですし、その後もピクサーなどCG部門でも世界の最先端を行っているわけで、彼らが日本のアニメのクオリティに飢えているというわけでも無く、良いものの一つ、表現の一つとして受け入れているに過ぎないという感じがします。その一方、日本人が空想(妄想)するのは、「世界中が日本のアニメに脱帽」みたいな勘違い的感覚が感じられます・・・そんな感覚自体がすでに「調和」しておらず、世間知らずという感じがするのです。

もっと客観的に外から日本を観る事ができれば、日本がこれから世界で調和して進んで行くべき道が見えるのに、外との温度差のある自画自賛的な事を言っているなぁと感じずにはいられないのです。

敬意の無いところに調和は生まれず、調和の無いところには何も育って行かないです。

「日本はアニメの国です」とか「日本はゲームの国です」ではなく、「才能ある日本人クリエイターの発想と技術に感心し、楽しんでくれている人達が世界中に居ます」という言い方(考え方)が出来るようになれば、日本はもっと国際的な人種になれると思うのだけど。偏ってる人種ではありたくありません。

勝利とはすべての人達に認めてもらうという事。調和(つまり相互の敬意)なしには有り得ません。

「 勝利とはすべての人達に認めてもらうという事 」へのコメント

アメリカってアニメは子供向けって住み分けが強いんだよなー
でも映画化するとアメリカンコミックでもそうだけど、それなりに大人も観てくれて評価してくれる。
平日日常の生活ではあまり日本のアニメに浸食されたくないってのもあるのかな?
昔は宗教観の違いで批判を受けたりしてた事もあったみたいだし。
未だにドラえもんは一部の地域で流されてないみたいだし。



それをぶっ壊せ!w

「子供が観るもの・大人が観る者」という概念的な住み分けというより、外国の大人たちが求める内容+クオリティじゃない(この場合テーマが一番なのかも)という感覚なのだと感じます。あ、これはアニメだけじゃなくて、例えば日本のTVドラマなんかを見せても、素人っぽい演技や撮影方法・編集・明かりやセットの不自然さなど(残念ながらテーマや物語の奥深さなどについては、言葉が違うので指摘してもらえませんが)、素人さんに凄く沢山指摘されてしまうんですが、それと似ているんじゃないかなって気がします。そういう僕も、そう指摘されるまで「どこがどうダメなのか」なんて考えた事も無かったのですが。何事も人から指摘されるとムッとするものですが、自分で「何でだろう」と疑問を持って理由を見つけようとすると、むしろ「こうすれば良くなれる」という建設的な考え方に切り替わる事が出来るんですよね〜。なので、こういった事も決して誰かを批判したくて言ってるんじゃなくて、自分の疑問に対し発見した事みたいな感覚で綴ってます。自分自身、長い間「日本のアニメは世界に認められている」というような台詞を鵜呑みにして来たほうなので。
http://jp.youtube.com/watch?v=pCW21FUxykw
↑日本のメディアだと、こういう大袈裟な伝え方が多いですよね。
「パフィが全米で大人気!」みたいな「???」な伝え方ばっかり。
まぁ、そういう誤解は一般人には害にはなりませんが、我々のように何かを作って伝えて行く側が、いろんな事の本質を(状況も)見極められないと、踊らされてる側がさらにものを伝えるというメチャメチャな状況になりますから(っていうか、すでになってる・・・)結構深刻な事だと思います。←本エントリーで一番言いたかったのはココ。

日本のメディアを通してしか日本人たちに世界の情報(クオリティも含む)が伝わって来ないという部分は、何とかならないかなぁと思うのですが・・・。

自分は西洋かぶれだから言われてもヘラヘラしてるけど、
米国がエンターテイメントに熱を入れるのは
国が新しくて文化が浅いからこそちゃんと作って行こうという思いが強いんじゃないかなと思う。
あっちだと時間遅れの海外配信まで想定してて
何年後でも時代差を感じさせない様に刹那的な流行に注意を払いながら撮ってたりしてる。

日本の場合は当時の流行をそのまま掛け流し的に扱う使い捨て感覚で
時間に追われる様にどんどん撮ってる感じ。

まあどっちがいいかわからんけど、クオリティは間違いなく前者だね。
特にドラマはスケジュールの習慣の違いが大きいかな。
日本の場合だと毎週やらなきゃいけないとか編成サイドのタイムラインベースで全て決まっちゃう。
その点アメリカはチャンネルも多く編成も緩いから予算中心に編成出来てクオリティを保ち易い。
まあ其の代わり予算次第で人気がなければ突然打ち切りになったり、
人気があればストーリを無理矢理作ってったり何でもアリとか、
撮影時間に間が開き飛んじゃって役者が突然老けたりするリスクが高くなるけどw
時間的制約で動くとすれば流す局の編成より作るプロダクション中心なんだろうなー
そんな感じ。

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