
ちょっと前に日本の車メーカー提供でやっていた(まだやってるのかな?)「ニューデザインパラダイス」(いかにも「ニューシネマパラダイス」からパクりましたという感じのタイトル)という番組がありました。あらゆる方面で活躍する気鋭のデザイナーによって身の回りに有る物のデザインが如何に新たなデザインに作り替えるかという、ほんの30分の番組だった。何度もブログでは書いているけれども、物を物で終らせているようなデザイナーたちがいかにも喜びそうな内容で、僕は全く好きではなかった。2回程観ただけで、吐き気がして来た。
こちらに公式サイトがありました(click)。
誰がどんな風に使うの?という「時の空気」が流れていない感じの、ほんとにモノのカタチ(←こうやって意味ありげにカタカナで書くのも僕は嫌いなんですが・・・)でしか無い。デザインし直す必要性が感じられず、「斬新」という部分にしか重点が置かれていない。まるで飽きたら新しい物へと使い捨てて行く日本の文化を象徴するかのようなコンセプト。30分の思いつきなどで物が変わり根付く訳が無い。きっと素人さんが観たら面白いと感じたかもしれない。真面目に観て感動するデザイナーがいるとしたら、きっと物を色や形としか考えてないでデザインしている人だろうと思う。物を取り上げて良い悪いで判断する程度の次元。残念ながらそういう物質主義のデザイナーは多い。
前置きが長くなってしまったけれど、上の画像は「design star」という番組の雑誌広告。今アメリカで流行の「リアリティ&メイクオーヴァー番組」のひとつで、デザイナーがそれぞれの個性を発揮して勝ち抜くコンペ番組。
日本のそれのような単なるモノのカタチではなくて、人間ドラマやエンターテインメント性(人と創造物の両方に)があり、もちろん視聴者もアイデアを自分の生活に取り入れる事が出来るし、デザインが産み出される過程も楽しむ事が出来る。日本の例の番組では、視聴者が気に入るかどうかなどに関係なく、大先生(?)が作ったものは良いという絶対性を感じずには居られなかったが、「design star」では人(デザイナーもユーザーも)の数だけスタイルがある。そして当然、物の形だけでなく、生活をデザインするというスタンスだ。住む人達のライフスタイルに沿ってデザインされるわけで、大先生が作ったものなら誰にでも適合するという訳ではない。日本の番組では、変える(=良い)という行為にしか着目しておらず、変わらない理由を全く無視している。伝統を軽視し、何も築いていけない日本を象徴するかのよう。
10人の中から勝ち残ったデイヴィッド氏は、きっと自身の生活も充実しているに違いないだろうと思えるような雰囲気の持ち主。きっと家に友達を大勢招いてパーティや食事やダンスを楽しんだりして、そんな時間を彩るのがデザインなのだろう。シェイプアップした体つきも素晴らしいですね。理想の自分自身になるという生き方そのものをデザイン出来ている。そういう環境からデザインするぐらいの精神力の無い人からは、真の良いものなど生まれない。物を創り出すための環境とはそういうもの。デザインは生活の中で時を刻んでこそ生きて来る。自分が体験していない時間を、人のために作り与える事など出来ない。











「用の美」っていう言葉がありますが、完璧に無視してますよね(^_^;)
これって、「リアリティ&メイクオーヴァー番組」と言えるのかなぁ? 「テレビチャンピオン」の「リフォーム王選手権」とか「片づけしつけ(?)王選手権」とか参考になりますが、やってもらったおうちの人たちは、そのあともちゃんとやってるのかなぁ?って思ったりします(笑)