2つ前の「TOP CHEF」のエントリーのレスで日本語の表現のおかしな点などについて触れましたが、大手スーパーのレジに並んでいる時に、係員が居なくて閉鎖されている隣のレジに「このレジは未使用」という看板がついていたのを見て「未使用じゃなくて不使用じゃないの?」と感じたのを思い出した。「不使用」は意味的には間違ってないけど、あまりそんな言い方はしない。しかし「未使用」だと、まだ一度も使われていない新品のレジですよ〜って感じがしませんか?誰か気付けよ〜!と思ったのですが、店員さえ気付いていない様子・・・。
意味的には間違っていない「不使用」が使われない理由は「固そうな言葉」だからだろうか?!「このレジは不使用です」では、なんとなく違和感がありますね。「ただいま使われていません」という言い方はする。一方、「未使用」という言葉は頻繁に使われるけど、「不使用」とは意味が違う。デザイナーがコピーを書くとき、そんな「なんとなく」な感覚が発揮されてしまう。でも、なんとなくが度を超すと、意味に対してデリケートさを欠いた言葉になってしまう。もうちょっとちゃんと言葉の違いや意味を大切にしたほうが良いと思う。
・・・と前置きが長くなってしまいましたが、そんな事を思い浮かべたのは、「介護のキャッチコピー」という検索ワードで辿り着いてくれた方がいて、そのページを読み返してみたからです。「頑張らない介護」「ストップ・ザ・介護」って、やっぱりおかしくありません?
↓過去のエントリーより:

「頑張らない介護」というキャッチコピーのアテントの広告がある。それを聞いて僕は瞬間的に「え?頑張らないって・・・いい加減に介護?」と思った。次に広告が言わんとしている事を考えてみた・・・「切羽詰まらず、気楽に出来る介護」という意味ではないかと。「努力しない介護」も同じかもしれない。でも「努力」や「頑張り」は「苦痛」とイコールなのだろうか?
「介護」は体力的にも精神的にも大変な事だ。僕も癌の父の介護をした身なので、それは身を持って解っている。しかし僕の感覚としては「気力で頑張らなければくじけてしまう」という感じだった。そのために頑張れるプラス思考が必要だった。なので余計に「頑張らない介護」という言葉の意味が解らない。たとえ「簡単介護」という意味であっても、気持ちは「頑張ろう」と思うし、それは自分へのエールでもある。
きっと「努力」や「頑張り」をネガティヴに捉えている人が考えたコピーなのだろう。もしも「頑張る」という言葉を「苦痛を我慢する」「面倒な事に耐える」という意味で考えていたら、とても人に「頑張ってね」などとは言えない。僕にとって「頑張る」は「情熱を持って真剣に取り組み、それにプラスの価値を持とう!きっとその努力は報われるよ!」という意味だと思っている。人に「頑張って!」という時もその意味だし、「頑張るぞ!」という時もその意味である。
だから「頑張らない介護」というコピーは僕にとっては「まともに取り組んでもどうせ報われないから、情熱を持たずに、不真面目に取り組んだほうがいい」という意味にしか聞こえない。つまり「頑張る」をマイナスイメージで受け取っている人にしか通用しないコピーなのです。
こんな声もある:
『"頑張らない介護"にはほど遠く』
(主婦・51歳)
最近「頑張らない介護」という声を聞くことが多くなった。介護保険制度が発足してからは介護サービスを利用することにより、介護する側の負担が軽くなるのはなによりだと思う。私が母の介護を三年間やってみてわかったことだが、「あまり頑張らないで」と言われても「やるしかない介護」だということだ。
『頑張らない在宅介護などありえない』
(岡山県・男性)
介護の最近の流れとして、頑張らない介護、ということが叫ばれ始めている。なんだかこの声が主流になりはじめているようで、私にはピンとこないのだ。
しかし企業は「頑張らない介護を応援します」とアピールすることがプラス指向だと思っている。「頑張らない介護」という言葉は実際に介護に立ち向かっている人達には、ちっとも現実味の無い言葉なのだ。
介護経験を身を持って体験したことがある僕が、本当に欲しいと思えるコピーはむしろ「頑張れる介護」だ。「明るい介護」とか「負けない介護」でもいい。

さらに「ストップ・ザ・介護」なんていう言い方もおかしい。「介護が必要な家族がいても介護せずに放って置こう(介護なんかやめちまえ)」みたいな「介護放棄」のように聞こえる。「介護予防」も、「介護される状態になるのを予防」であって、「介護するのを予防」みたいに受け取れる表現はおかしいと思う。
嫌な事はやらないという、「努力」や「頑張り」に対してネガティヴな感覚を持っている日本人特有の表現なのかも知れない。愛情と強い精神がなければ介護など出来ないし、頑張らない介護などあり得ないのに、そんなコピーをつけるのは、やっぱり介護する人の心を解っていない証拠だと思う。介護はプラス指向で頑張ってこそ出来る事なのだ。
意味的には間違っていない「不使用」が使われない理由は「固そうな言葉」だからだろうか?!「このレジは不使用です」では、なんとなく違和感がありますね。「ただいま使われていません」という言い方はする。一方、「未使用」という言葉は頻繁に使われるけど、「不使用」とは意味が違う。デザイナーがコピーを書くとき、そんな「なんとなく」な感覚が発揮されてしまう。でも、なんとなくが度を超すと、意味に対してデリケートさを欠いた言葉になってしまう。もうちょっとちゃんと言葉の違いや意味を大切にしたほうが良いと思う。
・・・と前置きが長くなってしまいましたが、そんな事を思い浮かべたのは、「介護のキャッチコピー」という検索ワードで辿り着いてくれた方がいて、そのページを読み返してみたからです。「頑張らない介護」「ストップ・ザ・介護」って、やっぱりおかしくありません?
↓過去のエントリーより:

「頑張らない介護」というキャッチコピーのアテントの広告がある。それを聞いて僕は瞬間的に「え?頑張らないって・・・いい加減に介護?」と思った。次に広告が言わんとしている事を考えてみた・・・「切羽詰まらず、気楽に出来る介護」という意味ではないかと。「努力しない介護」も同じかもしれない。でも「努力」や「頑張り」は「苦痛」とイコールなのだろうか?
「介護」は体力的にも精神的にも大変な事だ。僕も癌の父の介護をした身なので、それは身を持って解っている。しかし僕の感覚としては「気力で頑張らなければくじけてしまう」という感じだった。そのために頑張れるプラス思考が必要だった。なので余計に「頑張らない介護」という言葉の意味が解らない。たとえ「簡単介護」という意味であっても、気持ちは「頑張ろう」と思うし、それは自分へのエールでもある。
きっと「努力」や「頑張り」をネガティヴに捉えている人が考えたコピーなのだろう。もしも「頑張る」という言葉を「苦痛を我慢する」「面倒な事に耐える」という意味で考えていたら、とても人に「頑張ってね」などとは言えない。僕にとって「頑張る」は「情熱を持って真剣に取り組み、それにプラスの価値を持とう!きっとその努力は報われるよ!」という意味だと思っている。人に「頑張って!」という時もその意味だし、「頑張るぞ!」という時もその意味である。
だから「頑張らない介護」というコピーは僕にとっては「まともに取り組んでもどうせ報われないから、情熱を持たずに、不真面目に取り組んだほうがいい」という意味にしか聞こえない。つまり「頑張る」をマイナスイメージで受け取っている人にしか通用しないコピーなのです。
こんな声もある:
『"頑張らない介護"にはほど遠く』
(主婦・51歳)
最近「頑張らない介護」という声を聞くことが多くなった。介護保険制度が発足してからは介護サービスを利用することにより、介護する側の負担が軽くなるのはなによりだと思う。私が母の介護を三年間やってみてわかったことだが、「あまり頑張らないで」と言われても「やるしかない介護」だということだ。
『頑張らない在宅介護などありえない』
(岡山県・男性)
介護の最近の流れとして、頑張らない介護、ということが叫ばれ始めている。なんだかこの声が主流になりはじめているようで、私にはピンとこないのだ。
しかし企業は「頑張らない介護を応援します」とアピールすることがプラス指向だと思っている。「頑張らない介護」という言葉は実際に介護に立ち向かっている人達には、ちっとも現実味の無い言葉なのだ。
介護経験を身を持って体験したことがある僕が、本当に欲しいと思えるコピーはむしろ「頑張れる介護」だ。「明るい介護」とか「負けない介護」でもいい。

さらに「ストップ・ザ・介護」なんていう言い方もおかしい。「介護が必要な家族がいても介護せずに放って置こう(介護なんかやめちまえ)」みたいな「介護放棄」のように聞こえる。「介護予防」も、「介護される状態になるのを予防」であって、「介護するのを予防」みたいに受け取れる表現はおかしいと思う。
嫌な事はやらないという、「努力」や「頑張り」に対してネガティヴな感覚を持っている日本人特有の表現なのかも知れない。愛情と強い精神がなければ介護など出来ないし、頑張らない介護などあり得ないのに、そんなコピーをつけるのは、やっぱり介護する人の心を解っていない証拠だと思う。介護はプラス指向で頑張ってこそ出来る事なのだ。


