
Wildpig...いのしし鍋を山奥の料亭で食しました。茸類や筍など、旬の新鮮な食材ばかりで美味でした。なんだかこのところ食べ物ネタが続いてるような気がするんですが・・・やっぱり秋ですね。
駆け出しの頃は仕事に追われっぱなしで、ろくに世の中の事を経験していないのに色々なデザインを片っ端から手掛けていました・・・フランス料理が一品毎にコースで出て来る事さえ知らないのにメニューをデザインしたり、おまけにコピーまで書いたりして、恥ずかしくて今とても見る気にはなりません。いわゆる工場給食と言われている脂っこいフライものばかりの弁当の仕出し屋のチラシに「厳選された素材を使い、真心こめて味を追求しています」みたいな歯が浮くようなコピーを平気で書いていました・・・そのほうが喜ばれるしコピーとしてはOKみたいな流れの中で仕事をしていた。しかしそんな嘘っぱちなコピーを、見る人達が信用するはずもなく、最初から「文字の飾り」ぐらいにしか思われていなかったことでしょう。
しかし見回すと、ほとんどの食べ物コピーが同じようなお決まりな大袈裟な言葉を使い、言葉のパワーを失っています。それは言葉がいけないのでしょうか?
ちなみに僕のお気に入りの、年に数回しか食べに行けない高級店のコピーはどうかと見てみたら「最上級の黒毛和牛・○○牛のステーキと、シェフズテーブル"○○料理"の世界」(○○は店名)というコピーを使っていました。馬鹿の一つ覚えのような「厳選された」とか「こだわりの」という言葉はありません。そういう言葉はむしろ安っぽいものに安易についています。
僕はコピーライターでは無いので、「コピーの技」みたいな部分では語りたくはありません。ただ、利用者・堪能者として、それらのコピーを聞く側に徹してみると、やはり「嘘の無いコピー」が一番だと思うのです。いかに言葉の大袈裟さを打ち消して、作り事ではなく、ありのままで表現できるか。「最上級」であることと、信頼されている「店名」だけで成り立つコピーは流石だと思いました。そういう本物志向のクライアントから信頼されるクリエイターでありたいです。スーパーで買って手軽に味わえるものなら、わざわざ足を運んで高い金を払ったりしません。まして安物と最高級品が同じような言葉を使ったコピーだなんて有ってはいけない事です。
もしも「コピーの技」みたいな部分だけで考えれば、響きが良い言葉を素材集から拾い集めて組み合わせれば、どんなコピーも作れるでしょう。・・・実際に食べていなくても書けます。しかしそのコピーを読むのは、書いている自分よりももっと美味いものを良く知っている人達かも知れません。
伝える側であることを良いことに、消費者を見下したような偉そうなクリエイター系ブログが多い。しかしデザイン的理論や社会ネタばかりで、それ以外の自分の生活の事を書けば書くほど、仕事場と自宅の往復以外に何も無いような生活が浮き彫りになったり、忙しさを自慢げにアピールしているクリエイター達も少なく無い。いつ堪能者になる時間を持っているのでしょうか?ゆっくり音楽を聴きに行ったり、食事をしに行ったり、芸術鑑賞に行ったり、自然と触れ合ったり、人々と触れ合ったり・・・


